苦行か趣味か 中国語学習。

西原理恵子さんの

記事をパラ見したら、

50歳過ぎて、外国語学習なんて止めたほうが楽。

と書いてあって、

大苦笑。

 

ほんと、今更なんで外国語なんてやっているのか。

仕事で使うわけでもなく、中国人とコミュニケーションしたいわけでもなく。

そもそも外国語は数字とともに苦手分野。

 

何が好きかって、

漢字を含めて

実は日本語が好きなのだと思う。

 

だからブログも良く書くし。

日本語好きの延長に中国語があったのだろうね。

 

実は、

漢字を覚えるのは苦行ではなかった。

今でも覚えきってないし、

あの字、わかんない。

は連発。

 

ここは何故か苦行じゃない。

 

苦行は、昨日も書いたけど、音系。

中国語の音と、日本語の音は、かなり異なる。

日本語音脳では、太刀打ちできない。

 

ここ大きな壁か、大きな川。

 

体当たりすれば、ぶつかるし、

川を無防備で泳ごうとすれば、溺れるか流される。

 

結局、私にとって、どんな方法で

これらを乗り越えるのか、まだ実験中。

結論は出てない。

 

音はよくわからないけれど、

中国語の響きは、脳内にしっかり定着してきた。

それを実感したのは、

今学んでいる日本人生徒の中国語。

日本人の私が聞いても良くわからない。。。

同郷なのに。

これを中国人が聞き取るって、そりゃ至難の業だと。

先生って偉い。。。

さて、

私も酷い発音なのは重重承知なのだけど、、、

一たび、中国語の音を口から出せば、

日本人あるあるな発音。

 

自虐しているより、

下手でも声出ししたほうがマシなのだろうね。

他人の批評をしているより、自分への鍛錬。

ただ、人の発音聞くと、もう少し私も頑張っていかなきゃと

励みにはなるのは間違いない。

 

通じなくても、一生懸命に伝えようとする

気持ちはいつでも大切。。。

 

で、本日書こうと思った内容は、

実は、音ではなく、外国語の学びとは何か?の続き。

 

言葉を知らない幼い子と大人の学びの違い。

 

幼い子は、

何かを表現する手立てがない。

 

物があって、

そこに何か名前があることから知る。

例えば

●→ 丸 まる 

❤→ ハート

と物と名前を結び付けていくのが最初の段階。文法抜きにして。

 

大人の場合

♥ → ハート(中国語) → 心形(中国語)

先に物と日本語が結びついて、一つの世界ができてしまっている。

そこに加える場合は、日本語の後に中国語が来る。

日本語ベースの中国語。

 

しかし、本来の勉強は

 

♥→ハート

心形

 

このように、物から矢印を別方向に出すことが、外国語を勉強する本来の姿。

矢印の向きを増やすのって、無いものを作り出す作業。

大人はここが苦手。でも出来ないことはない。

これが苦行の元だと思う。

 

ただ、心形で、漢字圏の私にはイメージはすぐにできる。

でも、音は一からの構築。

 

日本人にとって、中国語のズルいところは

日本語の矢印の使いまわしができちゃうところ。

ただ、それに頼ってばかりいると、

新しい矢印は育たないと。

 

だから、

日本語を一旦忘れて、イメージや絵で中国語を結び付けていくことが

より正しい中国語や外国語を身に着けることになり

近道となるのではないかと。

 

日本語を介さない学習方法が理想的。

 

それは単語だけでなく、

簡単な文章でも、中国語でそのまま組み立てて

中国語のまま理解する。

心の中の日本語が出てこないようにする。。。

 

使い慣れた便利な言語を使わないのは、そりゃ苦行。

 

ただし、苦行に感じてしまうか、そうでないかで

分かれ道なのかも。

苦行に関心を持てるか、苦行を苦行と思わない未知の発見の連続ととるか。

 

もっというと、

その言語に何か法則を見つけると

スルスルといくのではないかと。

 

最後は願望を込めた推測になってしまった。

結局自分でまだ結論が出てないから仕方がないのかも。

 

ほんと、辛いことが嫌いで、語学も好きじゃないなら

安易に手は出さないほうが良いんだと思う。

その時間とエネルギー、別のことに使うのは有意義と思う。

 

かといって、大人から第二外国語を学ぼうとする姿勢も

また受け入れたいと。

やりたいなら、やるべきと。そこに多大な無駄があっても

挑戦や冒険はやはり辛くても楽しいものだと。

 

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