本を読んで理解する事

最近、ちょこちょこ本をつまみ食いで読んでいる。

 

頭に入るものもあれば、

 

入ってこない内容もある。

 

入ってこない内容は、分かってないと認識しているから

まだいい。

 

頭に入ったつもりで

軽く読み飛ばすと

実は分かってないことが多いし、

 

そうだそうだと読んでも

すぐに忘れて、日常に戻ってしまうこともある。

 

本は買ってないけれど

厚切りジェイソンの投資の本とか

youtubeで解説動画を見ると

面白いし、よくわかる。

 

低コストの米国株の投資信託ETF

20年以上預けて、

お金を使わず慎ましく生きることに

楽しみを見出す。

 

ブレのない主張と読み取れた。

 

ただ、テレビと同じで

 

「わかりやすい」

 

は、「わかったつもり」になりやすい。

 

 

 

本来は、分からなくて

これは一体、どういうことだろう?と

 

頭を働かせたとき

よりよく身に入る。

 

難しいのは嫌だけどね。

少しだけ、難しいところを挑戦して

少しずつ切り崩していくのが理想。

 

理想と現実は違うとしても。

 

 

ここで終わろうかと思ったけど、

もう少し続けると

 

「目的への抵抗」國分功一郎

 

という本を読んでいる。

おおよそは分かる。

ところどころ、読み取れないところがある。

 

自分なりに良いように解釈している部分もきっとある。

 

目的で何かをすれば、

それは自由と反対の方向へ行く。

 

子供の遊びのように

何も目的を持たず、

ただやりたいからで進むのが本来の自由だと。

 

三行にはまとめられるけど、

細かいところが読み取れてない。

 

少し、広げると、

親が目的をもって与えるおもちゃで遊ぶのは

自由ではない。

でも、その意図を知らず、

自分の興味に惹かれて遊ぶのであれば、

自由に属する遊びになるのだと。

 

子供が、これが役に立つから、こうやって遊ぼうと

考えたら、それ時点で純粋な遊びでなくなると。

 

大人で考えると

仕事に自由はないってこと。

 

仕事こそ、目的があるから行う行動だから。

 

仕事も何もしてない人、

一つの自由と思う。

 

仕事なのか趣味なのか分からないけど

ただ、やりたいからやっている人も

一つの自由だと思う。

 

自由な生き方に近いのは

定年退職した男性。

彼らは、仕事から解放されて自由になっていると思う。

 

女性の場合は、

定年退職しても、

「自分の為に」「何かの為に」とせっせと、

突き進むような気がしてならない。

 

変なたとえになるけど、

買い物依存症とかギャンブル依存症

この本の定義の自由に当てはまるかもしれない。

 

何かの為ではなく、

 

もう欲してやまないから

止められない。

 

いや、今度は、止められないという檻に囚われている気がするけど。

これは自由の束縛というものかもしれない。

もし、目的があれば、自由の束縛から逃れられるかもしれない。

 

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