最近、ある人の発言で初めて知った。
言語を学ぶことは、
話せるなるようになることが絶対ではない事。
言語を学んでも話せない場合もある。
それでも、立派な学習・勉強なのだと。
言い訳がましいけれど、
母国語以外の言葉を学ぶことで、
言語の成り立ちや、文化などを学んでいくことが
言語を学ぶ一つの柱で、
重要な事らしい。
この体験をすると、その人の考え方に幅が出るらしい。
理論方法の枠が増えるというか。
勿論、言語を学ぶことの中に
話せたり、聞けたり、
人とのコミュニケーションを取るツールとしての
言語を習得するのは大きな柱であることは間違いない。
ただ、言語を学ぶ内容の柱は
一本ではなく複数あるものだと。
と、三年勉強しても、
一向に話せたり、聞けたりしない私の中国語学習を
慰めてくれる理論だった。
言語勉強して、話せないと
「何のために勉強しているの?」
って誰でも疑問持つものね。
やっぱり、○カ月でペラペラとかは
憧れだし、できた人はヒーローヒロインだしね。
中国語を話せない段階の私ですら、
中国語の不思議な発音は、
人間の声の出し方の可能性の広さを見せてくれたし
そんな音の出し方があるのかと、大きな発見だった。
学問的に言えば、これも学習と。
(実生活に役に立たない学習ね。)
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おはようございます。
気候変動が激しくなると
秋の過ごしやすさが
とても貴重に感じられますね。
それでは良い一日を。
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