目標のない勉強

中国語の教材に

 

なぜ外国語を勉強するのか?

 

そんなタイトルの文章読解問題があった。

 

 

テキストの主人公は

翻訳なしで、外国の映画やドラマ、本を

理解したいという理由で

ある語学スクールに、話を聞きに行く。

 

すると、スクールから

学習の目的は何かと聞かれ

仕事なのか、留学なのか、

目標がないと、ただの興味では

学習は続かないので効果はないので

目的・目標を持つように言われてしまう。

 

そして、困惑して帰宅。

 

その後、具体的な目標が少ないなかでも

自由に勉強できるオンライン授業を探してみたり、

結論として、スクールのカリキュラムに追われる

誰かからやりなさいと強制される勉強ではなく、

 

中途半端でやめてしまうかもしれないけれど

言葉を学ぶ楽しみを味わいながら

自分のペースで勉強したいと

 

綴られていたようだった。

 

なんか、私のことを書いてあるようでびっくり。

 

 

具体的な目標は、本当に学習を進める上で

とんでもなく効果的な事なのだけど、

 

目標もなく

ただ語学を続けるのも

それなりに意味があるような気がしている。

 

自分の意志との対峙というか。

いつ辞めても良い状況で続ける意思や行動力。

 

そういう自分対自分の戦いというか見つめあいの場。

 

それを外国語学習を通して行っているような気がする。

 

 

少し違うかもしれしないけれど、

お遍路の旅に似ているのではないかと。

 

学習の道を自分でとぼとぼ歩いていく

そういう事を大切にしている自分がいるような

気がした。

 

※学習には絶対に目標があったほうが良いのは間違いない。

だから、私もこういっても、テストは受けるようにしているし。

 

勉強や学習の意味なんて

人それぞれ何百通りいってもいいわけだし。

その一つとして。

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