中国語に対して、本気になるには?

今勉強しているのが中国語なので

中国語の話になるけど、

どの学びも基本は同じと思う。

 

■聞き取り能力はどのように育つのか?


子供の時は、聞いていれば
吸収するのは、まあ知られた事。


大人になってからは、どうするのか
大抵は悶絶。
少数の語学勉強が得意な人を除いて。

語学が苦手な人は、
私も聞いていれば、少しぐらい耳は慣れるのかと思ったけど
半分イエスで、半分ノー。

確かに、中国語の音は、耳に残っている。


だけど、残っているのは無意識の領域で
言葉としての認識ではなく、音がそのまま音として保存されている。

学習していく過程で、習った言葉が、時々、
音として保存されている物とつながると

音が言葉として、記憶の場所が変わる

そしてようやく、言葉として記憶が誕生するんじゃないかと


そんな気がした。


音を言葉として覚えるまで工程が多いので、ノロノロ運転。


更に、言葉として音が記憶に残っても、出される音が高速になったり
変形したりしたら、また聞き取れないし。


それでは、
音はこんなに複雑な過程をとおして意識的に覚えないといけないのか?

この問いには、


やはり、自然と耳が覚えていくものなのではないかと。


という考えがあったり。


聞き流しが、脳への音のストックだとしたら


自然と耳が覚えるのは、

分からない音から何かを読み取らなければならない切迫した状況を連続体験すること。


これが必要なのではないかと思います。


その状況が、仕事・勉強・遊び、どれでも良いと思うのですが、
経験上、趣味で楽しく動画を見ている時は、
切迫感が少なく、画面から推測してしまって、意味を音から取ってないのだと。。。


たった10日間のネイティブの中国語オンリーのオンライン授業、
最後まで、何を話しているか分からないままだったけど、

その後、なんとなく、中国語の音が聞きやすくなった感はほんの少しだけありました。


聞きやすくなっただけで、
音を単語として意味を取れているわけでは無いけどね。
そこまで行くには時間が短すぎだった。


でも、明らかに、
好きな中国語の映像を見ている時と違う頭の使い方をしていた感はあるのでした。


要するに、

頭が、この音は聞き取って言葉として理解しなければならない!!!!

とやる気モードになれば、
耳から自然と覚えるのではないかと推測。

やる気というよりは、必須科目であるからこそ
やらなければならない環境。

大人が能力を習得するには、
必須意識がポイントではないかと。

 

授業を受けている時は、そんな必須意識は、そんなになかった。
聞き取れない部分は、諦めモードスイッチが入り
諦めモードから眠くならないように
意識を保つために、ガムを大量投入。

でも、やっぱり、無意識では、必須意識はあったのではないかと。


そしてテストの有効性も、やはり必須意識なのだと。

暗記が苦手なのに、あれだけの単語を覚える気になったし。

 

テストを申し込むだけで、
自然と必須意識が身に着く。


とは言えるかも。やはり辛さはあるけどね。
今、テストの辛さから解放されてはいるものの
次、自分にどうタスクを課すのか、嫌だなーーーと正直思ったり
先延ばししようかと思ったり


聞いているだけでは聞き取れないかもしれないけれど
そこに、必須という要素を入れれば、
聞いているだけで、聞き取れるようになる


という理論の推測。


趣味の中に、必須をどう入れるか。
テストや仕事以外に必須を見つけられたら
お宝物発見だし、

推しの外国語インタビューをそのまま理解したいから
猛烈に外国語を頑張れる彼女たちの心には

「必須意識」

があったんだと、今更ながらに理解できるような


これこそ、辛くない究極の必須意識なのかもと。
反面強烈な情熱は必要だけどね。


きっと、幾ら、絵を見て単語を覚える
母国語を介さず、イメージ直結型で
勉強したとしても、


必須感ややる気が無かったら


できないのではないかと。

 

やる気スイッチ=必須感


だったのか、
他にもやる気スイッチはあるのかは
まだ未検証。

 

 

そんなところで今日のメルマガから。

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おはようございます。

 

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その人生の粒です。


それでは良い一日を。


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