勉強は一人でもできるけど、会話は一人で出来ない物だと知った。

基本的に1人が好きな私。

 

もちろん、人恋しいところも

無きにしも非ずで、

こうやって、ブログなどを書いて

一応、自分をアピールしている。

 

他人に全く無関心であるなら、

ブログも書く必要は全くないと思う。

(収入目的を除く)

 

で、1人が好きなだけに

人とのコミュニケーションが苦手。

更に、会話なんて、聞いて居れば良いと思っていた。

というよりか、人の話は、聞くのが大切と思っていた。

 

が、、、

中国語を教える先生は、

会話は相手に疑問を投げかける事から成立すると

 

断言していた。

 

中国の会話はそうなのかもしれない。

 

実は、思い当たる節がある。

中国人相手に

聞きに徹していたら、話す事ないの?って顔された場面がある。

 

日本人の会話でも、何も聞きたくない時は聞かないで

沈黙が続いても、聞きたくない事を聞くよりはマシっとか

思った日々もある。

一応、社交辞令をして話をすることもあるけれど。

 

結局、中国の会話ってものは、相手に興味がないと

成り立たないものだと分かったし

日本語の会話でもそう大差ないんだと思う。

 

 

話す=会話と捉えるなら

相手への質問は絶対必要。

 

ただね、、、私は、今まで生きている間

言葉は、自分の考えを述べる為のツール、意志を伝える為のツール。

願望・欲求を叶える為のツール。

 

そう捉えてきてしまったのね。

会話の為のツールではなかったことは事実。

 

会話って奥深いのかも。

 

 

勿論、下らない話をダラダラするのは嫌いではないけれどね。

でも、それって、私はこう思うとか、あれは美味しかったとか

やっぱり、意見の発表の場なのよね。

 

他人が、どう思うが

 

「かまわぬ」

 

 

そんなスタンスの人には会話は不用なのかもしれない。

いや、会話が必要な人生に軌道修正すべきなのかもしれない。

 

ま、そんなどうでもいい話で今日はそろそろメルマガに。

 

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おはようございます。

 

世の中多くの事柄に絶対はありません。
それが最善かを問う気持ちが
大切ではないでしょうか。

 

それでは良い一日を。

 

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