中国人が神に見える。それは語学中毒症状に違いない

頭のいい人や、語学センスの良い人を除いて
語学は、人と会話しないと、単語が記憶に残らないと
実感中。

動画で映像を見ている時と人と話している時では
単語をなんか聞いて居る脳の部分が違う気がする。

なんていうか、人との会話は、本番環境で
脳が臨戦態勢になっているというか。


動画だと、分からなくても、サラッと流してしまう。

そこの違いなのだろうか。


相手が人っていうのは、凄いパワー。


昨日、中国語ネイティブの人から
レッスンをしてもらって、再認識した。

 

聞き取れなかった生中国人が発する

「博物館」「很多」

悔しかったのか、今日は何回も頭の中で反芻する。


そして知っているのに、すぐに理解できなかった

「毎天」

これも悔しくて、毎日って、何回も思い直した。

 

書いてて思った。
簡単な言葉が聞き取れなくて、
コミュニケーションがどうのこうのではなくて、
ただ悔しいだけなのではないかと。

生身の人間相手だから、悔しさも倍増なのではないかと。

恥ずかしさも多少あると思うけど、、、。


音が聞き取れない中国語学習者の私からみると
教えてくれる中国人は、

 

「神」

 

ではないかと思ってしまう。
中国語においては、
人間の能力を超えている全能な神。

 

こんなアホな事を言うのは、
私ぐらいかと思いきや、
中国語を学び始めると、
中国人を神とあがめる人がある程度いるらしい。

 

その気持ちはすごく分かる。
兎に角、中国語に関して、彼らは全能に見えるのね。


例え、拙い中国人風の日本語を話していたとしても。

 

なぜ中国語の全能な神が

日本語の発音で苦労するのか、

大いに突っ込みどころ。

中華圏の神であって、日本の神ではないと。

 神に国境がある時点で、偽神は明白なのに。

 

そんなところで今日のメルマガから
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おはようございます。

 

心の余裕。
一見、緩んでいるように見えますが、
結果的に、余裕があったほうが
効率よく動けるのではないでしょうか。

 

心に余裕が全くない怒っている状態※は、
周囲に緊張感と不快感を与え
ストレスが生み出すだけではないでしょうか。

 

※心に余裕をもっている状態での怒り、
本当にしては行けない事をした時の教育的な怒りとは
別物として捉えています。

それでは良い一日を。


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