1人暮らしの命は儚い

孤独死は、

割と高齢になってから降りかかる物と

思っていたけど、

 

 

 

 

自宅待機の軽症者 悪化し死亡

 

を見て、身震い。

1人暮らしでコロナ陽性で

最初軽症で、自宅待機中に急変。

 

勿論、今回のウイルスでなくても

1人暮らしはそういう誰にも知られず

亡くなる確率が高い。

平時ならそのリスクが低いだけで、

ないとは言えないと。

確かに、私の身の回りでも、今回に限らず

1人暮らしだったため、発見が遅れて

助からなかった人が居る。

 

1人暮らしというものの、本質を突いた死なのだと。

 

で、現実、イタリアで若い人を助ける為に

高齢者が命を差し出したように、

日本も不条理の時期が来たのだと。

 

出来るだけ軽症でもホテル待機が良いけど

その時ホテルに空きがなければ、

自宅で待つしかない。

 

不条理の死は、本当に残った人が

何度も「もし~~だったら」と自問が始まる。

 

そういう事態にならない為にも

監視下できる隔離場所の確保はより多く欲しいけれど

限られた人材と時間では足りなくなることも

受け入れなければならないことも。

 

そのシワ寄せが、誰に行くのか。

皺を寄せられた人は、不条理でしかない。

不条理はそういうものだと頭では分かるけど

身に降りかかったら、こんな冷静で居られるのだろうか?

 

多分、無理過ぎて、命ある限りモガクと思う。

 

ホテルなどを増やす力のない私には

家で大人しく暮らすのが精いっぱいの貢献。

 

 

と無理して家に居る様にも取れるけど、

人の悲しみや苦労、混乱の隙間で

1人、のほほんと家で社会と距離を置いて

自分時間。

特に仕事もしないで、

ただただのんびり。

 

外に出れない家猫のような気ままな暮らし。

 

社会が動いている時にはできなかった過ごし方。

飛行機は飛ばなくなり

空気は綺麗になるし

石油の消費も下がって、

地球の環境破壊に歯止めがかかっている。

 

人々がこんなに苦しんでいるのに

有難い恩恵が巡ってきている。

 

喜べない状況なのに

どこか喜んでいる自分が…。

私は、非人間かもしれない。

 

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