個性を受け入れるとは マシューボーンの振り付けに思う


「個性を受け入れる」のはかっこいいと思う。

言うのも簡単だし、反対する人も少ないと思う。


けれども、私は
美容院に行けば、かならず
このくせ毛をみて、
「ストレートはかけないのですか?」
と営業がかかるし

くせ毛=お客がいやがる髪質=儲かる髪と

思われていると思う。

くせ毛はくせ毛のまま暮らすのが
楽で良いのよね。

ストレートにしたい人はそれで良いけど、

どちらでもいいのに、お金をかけて髪を弄る必要はないと。

 

ま、相手から発せられる没個性化は、
軽く受け流せば言いのだけど、

自分の内から相手に発してしまう
没個性化の思想、


これには参る。


ちょっとした一言に、自分が戦闘モードになったり
いろんな言い方を受け入れるそういう
心の広さがないと、
個性なんて受け入れられないと。
自ら実体験中。

どんな言い方でも、伝えようとする気持ちを
汲み取ったり、忙しい相手を思いやる
そういう事ができてこそ、

個性を受け入れられる体制が自分に整う
のではないかと。


つまるところ、


自分の中に、世の中こうあるべし!!!!


という強い固定概念が潜んでいるって事。


固定概念、溶解剤が
自分の中に必要。


それはどこにあるのか?
自分の中なのか、他人から頂くものなのか?
両方か?

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昨日の利益
メルカリ 590円

低空が続いているけど
売れるだけありがたい。
新規出品が少ないのだから仕方ない。

ベルマーク2点ぐらい

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さて、下になってしまったけど、

個性を生かす振り付けとして知られる

マシューボーン。

確かに、バレエ音楽を使って、

バレエと境目の少ないコンテンポラリー的な

曖昧なジャンル。

バレエは、こうあるべしと、動きに制約があるけど

マシューの踊りにはない。

 

ダンサーのインタビューからも

ダンサーのよさを生かす踊り方、

ダンサーの個性を生かす舞台

が基本となっているらしい。

 

だから、舞台を見ていて、この人、ちょっと違うという感じの人も

それはそれで個性の現れて、それに対して自分がどう思うかだけ。

違うと思っても受け入れればそれで良いと。

違うと排除や矯正していくと、個性が歪む。

 

今日も見に行くのだけど、

そういう個性を見ながら舞台観賞できたら良いものの、

大抵は、自分の好みのところばかり見てしまう。

 

ま、舞台の見方も個性があるのですよね。。。

 

 

感覚が違うことに目くじらを立てない。

気にしない。

他人は他人。