サバゲーで、社会生活をサバイバルする

NHKの72時間で

サバゲーを取り上げていた。

 

私の好きな72時間は、

渋谷郵便局や交差点などの公共性の高い場所や

小さなゲーム屋さんとか自販機コーナーなどの

定点観測が好きなんだけど、

 

今日はサバゲーだった。

広すぎて今一つ撮影しにくい気が。。。

 

おっとっと。。

つい話がそれてしまう。

今日は72時間の話ではなく、

サバゲーに思う事。

 

私が最初にサバゲーを知ったのは

会社の取引先のデザイン会社の

ワンマン社長が、サバゲーにハマっていて

目をキラキラさせてその話をしていた時。

 

テレビと同じように仕事終わったら

寝ずにゲームに参加しにいくんだって(72時間風)

 

大人がドハマりする楽しさは私も分かるので

楽しくサバゲーの話を聞いていた。

で、勝手な先入観で

サバゲーは、お金持ってる、仕事バリバリこなす

仕事も遊びも大好きなパワフルな人がするものだと

思っていた。

 

そしてもう一つ印象に残っていたのは

女性はサバゲーで、息を潜めて

狙ったものが捉えられる場所に来るまで

ジッと待つとか。だから最後に残るのは女性が多いとかとも。

 

なのでこれまた勝手に

暗いインドアの中で何時間単位で

戦争ゴッコするんだと思っていた。

 

が、

テレビでは違っていた。

まず、社長は誰も出てこなかった。

派遣の工場勤めや元コンビニ店員

自衛隊、年齢は様々。

サバゲーにストレス発散というより

生きるエネルギーをぶつける為、放出する為に

やってきているように見えた。

 

あの社長も仕事そんなに嫌だったのかな?

そうは見えなかったけど。ただの遊び好きにしか…。

 

何となく複雑。

人が生き生きしていられる場は賛同したいし

それがその人を幸せにしているのなら

サバゲーはあったほうが良い。

 

でも、どこか、人間は撃つとか倒すことが

好きで、出世とか周りより秀でることを求めて

しまう性を見せつけられると

それでいいのだろうか、

良い悪いよりも、人間の性格を自分は受け入れられるのだろうか

 

問われている気がした。

 

自分の中にも撃ち殺したりすることを

基本的に好むものが潜んでいたらと思うと

単純にサバゲーを受け入れられない。

でも、それを必要としている人もいる。

 

突き詰めると、難題、哲学分野に行きそう。

 

 

一つだけ言える。

戦争で悲惨な目にあってないから

サバゲーが楽しめるのではないかと。

戦士としてではなく戦争体験していたら、

多分、銃は嫌な物と思うと

これも勝手に想像。

 

行き場の無い社会に生き抜くための

サバゲーには賛成だけど

もし本当に戦う時は、銃も武器もすべて捨てて

丸腰で戦わなければと思う。

 

戦いにそんな理想は通用しなくても

理想は忘れたくない。

 

 

※そもそもお金貯めるなら

サバゲーしていたら、出費がかさむではないだろうか??

この考えは正しいとは言えないけど、

社会でサバイバルしていくなら、

お金は武器と盾だと思う。

 

お金に余裕のある社長なら遊んでても良いけど

 

そんなにお金がなくても

サバゲーにのめり込んでしまったら

 

 

そこに何か哀愁というような

人の心の弱さを感じる。

 

それが72時間らしいテーマかも。

 

 

まんまと引っかかって

夜思わずブログを書く私。。。

私もきっちり72時間の登場人物体質だわね。

出演はしないけど。

 

72時間を好んでみるのは、

そこに人の心の弱さと同時に逞しさを感じるから

ではないだろうか。。。